夫のちんぽが入らない
『夫のちんぽが入らない』を読んだ。
昨日東京タラレバ娘の最新刊と一緒に買って、電車に乗ってとりあえずタラレバから読んだ。
覚悟を決めて読み始めたらずっと読んでしまって、家に帰ってからもごはんを食べながら夢中で読んで、3時間くらいで読み切ってしまった。
一言で言うと、辛かった。
私はちんぽが入ったことがない。
男性とは初めて中学3年生の時に付き合って、それから25歳まで8人とお付き合いした。
(半分は半年以内に別れている)
男の人と同棲もした、3年間一緒に住んだ。
付き合ってない男性と一夜を過ごしたことも何回かある。
でも私はちんぽが入ったことがない。
昔は性嫌悪が少なからずあって、そういった行為の後に自分のことが受け入れられず泣いたこともあった。
膣は濡れないし、状況に集中できない興奮できなかった。
痛かった。
みんな普通にしてることをどうしてできないんだろうと思った。
虚しかった。
そんな辛かった日々の記憶が押し寄せてきた。
他の人の前ではその事実を受け入れてるつもりでも、やっぱり自分のせいだと思ったし、(というかそうだし)
入れられないメンタル、入れられない体、どうして自分は、と思った。
今も少しは思ってる。
ちんぽが入れられないことでいいこともあった。
付き合ってない人と一緒に眠るとき。
自分を消費してるという気持ちがない。
ちんぽ入れられないのに一緒に寝てくれたり優しくしてくれる、その人の下心のない優しさだと受け入れられた。
私はちんぽを入れないだけじゃなくてほぼ触らなかったし見なかった。
私は長くお付き合いした人と別れた後、3人の男性とお付き合いしてセックスができず別れたとき決めたのだ。
「大好きな人としか付き合わないし、セックスもしない」
…
自分語りになってしまった。
私はこの本を読んで少しでも自分が救われると思った。
自分以外にも同じ人がいる。
でも違った。
彼女の苦しみは夫のちんぽが入らないだけではなくて、それがまた苦しかった。
しかも彼女は夫のちんぽが入らないだけで、他の人とは性行為ができた。
ただ苦しく、出口のない話だった。
小説じゃないのでしょうがないけれど、なにも解決せず、こだまさんも救われず終わった、終わったというか、彼女の生活は続いている、あのまま。
彼女は誰にも相談しない。
私はいつも誰かに聞いてもらおうと、それで救われようとしているのに。
読んでいて、ずっと誰かに感情をぶつければいいのに、と思った。
でもそれで私がいい方向にいったわけじゃない、人それぞれの生き方なのだ。
私は今ではそこまでの性嫌悪もないし、そういうことは嫌いではないし、
膣も前よりは濡れてくれるし、集中力も高まった。
このままいけば晴れて処女ではなくなるんじゃないかと思う。
この本を読むまで、自分がものすごく虚しくて悲しかったことを忘れていた。
私はこの本を読んで少しでも自分が救われると思った。
自分以外にも同じ人がいる。
とさっき書いたけれど、『きょうは会社休みます。』を読んだときも思った。
でもあれは33まで男性経験のない女がイケメンに惚れられるという少女漫画の恐ろしい都合のいい展開で、セックスもあっさり終わるという共感もなにもない漫画で悲しかった。
私はまだセックスを諦められません。